バレンタイン

中学生の時の話。

同じ部活で、クラスも一緒だった同級生をいつのまにか好きになりました。

転校して来た子で、素朴な感じで、話していて楽しいなって思う内に、良いなと思うようになってました。

リサーチしたら、チョコはあまり好きじゃないと言っていたので、初の手作りクッキーに挑戦しました。
(確か最初で最後の気がします)

姉が手伝ってくれました。

その子は、私の目にはミニラにどこか似ていました。
なんだかいつも眠そうな目が印象的でした。

そして急遽、クッキーに楊枝で似顔を描き、似顔絵クッキーを作りました。

懐かしいなぁ。

お返しをくれようと、呼び出されたのになぜだかやけにてれくさくて、立ち去ってしまった意味不明な私です(´Д`)

こうして見ると、奈良の父に目が似てる。

木村君、元気かなぁ。

なーんだ

小さい頃、近所の友達と外でおままごと遊びをしていた時のこと。

なぜか唐辛子が近所に成っていたようで、赤い色の実が素敵で、友達とおままごとの材料に切って遊びました。
(この時はまだ、唐辛子の存在を知りませんでした。)

帰る頃、友達と「なんか目とか口がピリピリするね。」と言って別れました。

家に帰ってからその症状が更に悪化。

どうもお友達の方がもっとひどかったようで、親同士が連絡を取り合ったのか、どんな遊びをしたのか尋ねられたような気がします。

そして原因が分かり「そりゃお前、たまんないや。」と、笑われたような記憶があります。

ピリピリに悩まされた一晩となりました。

写真は唐辛子です。

チビチビ唐辛子、めっちゃ可愛かったです。

でも、もう触りません。

昨日、奈良では雪が降りましたね。
先日、京都や大阪などで雪が降っていた時には、少なくともこの葛城周辺はまったく降りませんでした。

とはいえ昨日の雪は、すぐみぞれになり、ほんの少し積もった程度に終わりました。
今日もやっぱり雪。

それでも、お昼前くらいから日が射したりと、忙しい天気模様です。

さまざまな職業があるので、一概に言えませんが、

冬が寒い、
コートを着ないとつらい、
雪が降る、

なんて冬だったら、当たり前に感じていたことに、ちょっとホッとしていまいます。

「温暖化」を感じずにはいられない昨今ならではの、感覚かもしれません。

もう少しこの「寒さ」を感じていたい、と思う私です。

おかたづけ相談会

今日は、先日ご案内いただいた『おかたづけ相談会』に予約をし、香芝商工会へ行って参りました。

この相談会は、何と!「無料」で整理収納アドバイザーの方から、色々なアドバイスをいただける、という非常にありがたい相談会です。

また、簡単なチェックシートに答えると、自身の整理収納におけるタイプなどを教えてもらうことができます。
(ちなみに私は、当たっていました)

お見せするのがお恥ずかしい、我が家の物置部屋の写真を恐る恐る見てもらった所、「大好物です。」と言っていただき、ホッとしました。

一対一での相談会なので、自分のおかたづけの悩みに沿った適切なアドバイスがいただけて、非常にありがたかったです。

もちろん、有料になるかとは思いますが、直接訪問してのアドバイスや一緒に行うおかたづけも当然されているので、気になる方はぜひ直接お問い合わせください。

3月にもこのおかたづけ相談会は開催予定なようですので、詳しいことをお聞きになりたい方は、下記のURLにアクセスして直接問い合わせしてみてくださいね。

(こちらは予約制となっています!)

【空間エコロジー研究所様】

ホームページ <<http://kukan-eco.com>> ※スマートフォン専用ページとなります。
FBページ <<https://www.facebook.com/kukan.eco/>>

狸の置物

街で目に留まり、パチリと取った写真を見ていて、気になり出した狸の置物。

お店の入り口や、個人の家の入り口などでよく見かけるけど、今更ながらに何か意味があるのかなぁ、と思い調べてみました。

予想通り、縁起物でした。

明治時代に陶芸家だった藤原銕造さんという方が作られたのがきっかけとなったようですね。

それ以前から狸は縁起の良いもの、とされてはいたようです。

「たぬき」という名前から、
「他の者を抜く」とか「他の者より抜きに出る」などといった語呂合わせ的も良い、とされる由縁の一つなようです。

写真のコは、赤いリボンをつけていますが、スタンダードな狸の置物には、

・笠
・顔
・目
・腹
・尾
・通帳
・金玉袋
・徳利

から構成されていて、「八相縁起」と言われ、その一つ一つに意味があるそうです。

恥ずかしながら、この歳で初めて知りました。

今度、小さいの買ってみようかな。

習慣

家の鍵をかけて出かける、ということがほぼない。

いつも父が家にいるので。

その上、自宅で仕事をするようになって、旦那さんもいることがふえたので。

そういえば、実家も鍵をかけて出かける習慣がほぼなかった。

母は専業主婦で、父は自宅敷地内の工場で自営業をしていたから。

コープの引き取りをし忘れていて、連絡を受け、父を乗せ(週に1回の父買い物デーのため)出かけた。

買い物が終わり、自宅へ戻り、初めて気づいた。

(あ、鍵かけずに行っちゃった)

まったくもって、鍵をかけなくちゃ、という考えが「0」だったことを痛感。

「思いっきり、家の鍵をかけ忘れて出かけちゃってた。」

と父に行って、二人で笑った。

たぶん、何もとられてはいなさそう・・・です(^^ゞ

日常

めちゃくちゃ違和感の中、朝を迎えました。

たまに環境が変わると気づくことがあり、それはそれで貴重な機会なのかもしれないなと思いました。

「日常」のありがたみをもっと大切に過ごしたいものだな、と思った朝です。

奈良は強風が吹き荒れている様子。

みなさま、くれぐれもお気を付けてお出かけください!

「良し」「悪し」

私の心の中には、大切にしている言葉がいくつかあります。

その一つが、
「人間万事塞翁が馬」。

このことわざの由来となったお話は、少しずつ違った書かれ方をされているように見受けます。
数ある中から、自分に一番しっくり来る解釈を選んだら良いのかな、と思っています。

これ以降はあくまでも私個人の解釈によるものですので、予めご了承ください。
私がこのことわざを聞かせてもらったのは、東京の父からでした。

人生において、幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかはわからないのだから、その予測しがたいことに喜んだり悲しんだりすることはない、というとらえ方をしております。

それ以来、このことわざを時折思い起こしては、自分への戒めにしたり、慰めにしたり、として参りました。

そして、45年間生きてきた中で、このことわざを身をもって感じたこともありました。

このお話に出てくる老人のように、目の前の出来事に一喜一憂せず、静観或いは用心をして過ごす、ということは私個人としては、多分、一生かけてもなれないように思います。

でも、「最悪や!」と思ったことが後に「救い」となったこと。
逆に「やったー!」と喜んだことが後に「苦しみの元」になったこと。

両方ございました。

そしてそのたび、いつも思うこと。

目の前の出来事全て一つ一つが、あくまでも「経過」の一つに過ぎないのだということ。
また、それは一生という時間においては「点」のようなごく短い期間のことなのかもしれないということ。
そして、起きたことにはすべて「因」があるということ。

またそれはすべて、自分自身にあるということを知りました。

とはいえその「経過」を軽んじるということでは決してありません。
その「経過」の一つ一つの積み重ねが、「明日」「未来」の種となり、実となるのだと思っています。

それと同時に物事に対して「良し」「悪し」を思うこと自体が、もしかしたら驕りなのかもしれないと思う気持ちも。この歳になり芽生えてきました。

そうは言っても、
落ち込む時、
泣く時、
苛立つ時、
悔しい時、
愚痴をこぼす時、
めちゃくちゃあります。

それでも、ひとしきり自分の感情に身を委ねたら、心はまたいつもの場所へ立ち戻ります。
立ち戻れるまでの時間はその時々でさまざまです。
それでも、立ち戻る場所があることはありがたいです。

社用車のメンテナンス

トラブルが発生して、お客様先に向かう際、余程のことがない限りは社用車を使っています。

トラブルの原因は様々で、お客様からご申告いただいた内容の原因は多種多様なのです。
そこで、工具や機器、部品などが必要となるのですが、その量は結構なもので、カバン一つに入りきるものではありません。

そこで、社用車の荷台に乗せ、お客様先へ出向きます。

社用車も乗っているだけならいいのですが、当然、メンテナンスが必要です。
運行前点検ぐらいは自身で行いますが、基本的には「プロ」にお任せしています。

今日の午後、社用車のオイル交換に行ってきます!
一緒に頑張ってくれている相棒のメンテナンスも忘れすに!!

YES,NOカードの是非

たびたびブログに登場する奈良の父。
持病があるため、その日の体調によって、過ごし方が当然のことながら変わります。

如実に変化したのは、お風呂に入る回数です。

以前は2〜3日に1度のペースでしたが、約1年程前くらいからでしょうか、週に1度のペースになりつつあります。

これまで、お風呂で意識を失うことが3回程あったので、それも影響してのことかもしれません。

一人がしんどいようなら、手伝うよと言葉はかけるものの、非常に気を遣う人なので「ええわ」の返答。
お風呂場に緊急時用のブザーも付けましたが、意識を失った時も押すことは一度もありませんでした。

また、デイサービス等も一切行きたがらないので、現在は父の意思を尊重し、入浴サービスも利用はしていません。
自分達の生活スタイルの変化によっては、父の意思にはそぐわないことも将来的に出てくるかもしれません。

以前は、定期的に「今日お父さんお風呂どうします?」と尋ねていました。
尋ねないと、普通に4・5日経ってしまうからです。
それと、言語障害が進んでいる父にとって「聞かれたことに答える」ということは、練習の一つとも捉えていました。

でも、それもやめました。

たびたび尋ねられ、返答に悩むのも正直しんどい、
尋ねられたら、体調がしんどくても「入るわ」と言わなあかんかもしれへん、と思わせているかもしれないと思ったからです。

単に私の勝手な憶測です。

人一人を理解する、ということは非常に困難なことだなぁと、歳を重ねる毎に感じます。

話が逸れましたが、1週間に1度のペースになれば、一度浸かっただけでもお風呂を洗わなくては厳しくなります。
そんな兼ね合いもあり、先日、父と相談をして作った物が、「お風呂に入る」「お風呂に入らない」のYES,NOカードです。

入りたい日にテーブルにでも出しておいてくれたら、段取りしておくので、お願いします、と。

カードを見て、父は笑っていました。

この方法がどうなのか、まだ始めたばかりで分かりません。

でも、やってみなくてはわからないので、何事も。

今は、お父さんが笑ってくれたらから良しとしておきます。